旗本とは
(旗本とは?意味を簡単に分かりやすく解説します)
  • 歴史の教科書に出てくる「旗本」ってどういう意味?
  • 旗本と御家人の違いは?
  • 「旗本八万騎」ってなんのこと?
  • 旗本と大名はどう違うの?

江戸時代の武士の身分である「旗本」とはどういう人たちだったのでしょうか。

この記事では、旗本や御家人の意味について、簡単に分かりやすく解説していきます!

Sponsored Links

旗本とはどういう意味?

教科書を見ると、「旗本」とは以下のような人たちであると説明されていますね。

教科書によく出てくる「旗本」の説明


旗本とは、将軍家直属の家臣の中で1万石以下、御目見え(おめみえ)以上の者をいう。

上の説明で、よくわからないキーワードとして、以下の2つがあるかと思います。

教科書的な説明でよくわからない2つの部分


  • ①「将軍家直属」とはどういうこと?
  • ②「御目見ええ(おめみえ)以上」とはどういうこと?

逆に、この2つの意味が分かれば旗本の意味についてもすっきりクリアに理解できるはずです。

順番に見ていきましょう。

Sponsored Links

①「将軍家直属」とはどういうこと?

「将軍家直属」とは、徳川将軍に直接つかえている武士という意味です。

逆に、将軍家直属でない武士のことは「藩士」と呼び、各地方の殿様につかえていました。

各地方の殿様は将軍家につかえていますから、藩士は「将軍家→大名→藩士」というように、間接的にしか将軍家とはつながっていなかったのです。

つまり、旗本は藩士よりもちょっと格の高いエリート武士だったのです。

江戸時代は「地方自治」の時代

江戸時代の社会というのは、今でいう「地方自治」のような社会だと思ってください。

現在は東京に総理大臣がいて、各都道府県には知事という人たちがいますよね。

イメージとして「総理大臣=将軍家、都道府県知事=大名」というような感じをイメージすると分かりやすいです。

↓こういう感じです。

江戸時代は今でいう「地方自治」のような社会


  • 将軍家=総理大臣(東京)
  • 大名家=都道府県知事(各地方)

もちろん、江戸時代は将軍家がもっともエライので、各地方の大名は将軍家の部下です。

Sponsored Links

将軍家の部下=旗本

そして、総理大臣には国家公務員という部下がいて、都道府県知事には地方公務員という部下がいますね。

これと同じように、将軍家には旗本という部下がいて、各地方の大名には藩士という部下がいました。

↓こういう感じ。

旗本と藩士の関係=国家公務員と地方公務員の関係


  • 将軍家の部下(旗本)=総理大臣の部下(国家公務員)
  • 大名家の部下(藩士)=都道府県知事の部下(地方公務員)

なお、今の時代は地方公務員と国家公務員は「どちらがエライ」ということはありませんが、昔は藩士よりも旗本の方がエライとされていました。

地方の藩士は自分の大名を通して間接的に将軍家につかえていることになりますが、旗本は将軍家に直接つかえているからです。

旗本は各地方の藩士よりもランクが上だったので、さまざまな重要な役職につくことができました。

Sponsored Links

②「御目見え(おめみえ)以上」とはどういうこと?

御目見えとは「将軍に謁見することができる」という武士のランクのようなものです。

上では「将軍家の直属の部下=旗本」という説明をしましたが、将軍家直属の部下の中には旗本の他にも御家人という人たちがいます。

「御家人の中でもちょっとえらい人たち=旗本」という関係になります。

↓※図にするとこういう感じ

旗本とは

今でいえば、総理大臣の部下である国家公務員(御家人)のうち、「課長以上の人たち=旗本」という感じでしょうか。

御家人の中で身分の高い人たちは将軍と直接会うことができる(御目見えを許される)ので、単なる御家人とは区別して「旗本」と呼ぶというわけです。

Sponsored Links

旗本はいつからあるの?

旗本という言葉は江戸時代より前からから使われるようになった言葉です。

「旗本」とは元々は戦場で大将のいる本陣の事をさしました。

(「大将の旗の下(本)」という意味だったのでしょう)

その後、意味がだんだんと変わって、「大将直属の武士」のことを「旗本」と呼ぶようになったと言われています。

鎌倉~室町時代には大将のそばにいる武士という意味でしたが、江戸時代に入ると将軍直属のエリート武士の身分を意味するようになりました。

Sponsored Links

旗本が「石高は低いが役職は高い」身分だった理由

旗本は大老や若年寄といった将軍家の高い身分につくことができましたが、自分の領地からとれる石高は少なくされていました。

逆に、地方の大名は「石高は高いけれど、旗本と比べると身分が低い(重要な役職には就けない)」という暗黙の了解がありました。

これは、「石高も高くて、身分も高い」という大名ができてしまうと、将軍家である徳川家よりも力を持った大名になってしまうからです。

江戸時代は徳川家の安泰を図るために徳川家康が設計した社会なので、このような仕組みになっていたのです。

なお、旗本は石高が低いわりには軍役負担が大きかったことも知っておきましょう。

Sponsored Links

「旗本八万旗」とはなんのこと?

旗本八万旗とは、「徳川将軍に仕えていた旗本の総数」の事です。

ただし、これは公称であるため、実際の旗本の数は5000より少し多いぐらいの数しかいませんでした。

旗本よりも低いランクの御家人まで含めて、やっと八万旗になったということです。

Sponsored Links

旗本とよく似た言葉の意味の違い

教科書では、旗本とよく似た言葉として、以下のような言葉が出てきます。

旗本と合わせてよく出てくる言葉


  • 御家人
  • 大名
  • 高家
  • 老中
  • 若年寄

それぞれの言葉の意味について理解しておきましょう。

Sponsored Links

旗本と御家人の違いは?

旗本と御家人の違いは、将軍に御目見え(おめみえ)が出来るかというのが大きな違いです。

御目見えとは儀式や式典などで、将軍の出る席に参列出来るかの違いで、旗本だけが御目見えができました。

ということで、旗本の方が御家人よりもくらいの高い武士であったという事になります。

旗本が殿様と呼ばれているのは、旗本に限らず、自分の雇い主の事を殿様と呼ぶようになっていました。

ですが、江戸時代は大名、旗本の事を総称していたようですのでこのイメージがついたのだと言われています。

Sponsored Links

譜代・二半場・抱席の3種類の御家人がいた

御家人は、譜代(ふだい)、二半場(にはんば)、抱席(かかえせき)という3種類の御家人に分かれていました。

まず譜代は、初代徳川将軍から四代徳川将軍までの時代に、将軍家に仕えていた人の子孫を指しています。

抱席は、それより後に御家人の身分として登用された人の事を指しています。

最後に二半場は、譜代と抱席の間に位置する人の事で、譜代と同じように家督相続が許されていました。

ですが抱席は、一代限りしか出来ないと規則で決められていました。

こういった背景があり、それぞれ違う身分でありました。

Sponsored Links

旗本と大名の違いは?

大名というのは1万石以上の領地を持っている武士のことをいいます。

旗本は基本的に1万石未満の人たちでしたが、出世して1万石以上の領地をもつようになると大名に出世しました。

大名には親藩・譜代・外様の3種類がありますので、それぞれの意味についても理解しておきましょう。

親藩(しんぱん)

親藩は、徳川家康の男系男子の子孫が祖先となっている大名や藩のことをいいます。

徳川家康には11人もの男の子供がいましたので、たくさんの親藩大名が生まれました。

親藩大名はいわば特権的な階級でしたので、重要な役職や重要な領地をもつことができました。

Sponsored Links

譜代(ふだい)

譜代は、主に関ヶ原の戦いよりも前から徳川家の家臣だった大名の事ですが、もっと広い意味で「大名のうち、親藩大名でも外様大名でもない人たち全部」のことも指します。

そのため、旗本が出世して大名になった場合には、この譜代大名に分類されることになります。

外様(とざま)

外様大名は、関ヶ原の戦いを境に前後で家臣となった大名です。

徳川家からすれば「仮想敵」のような存在でしたから、地方に追いやられて高い役職には就けないようにされていました。

ちなみに、江戸時代に外様大名として冷遇されていた島津家(薩摩藩:現在の鹿児島県が領地)や、毛利家(長州藩:現在の山口県が領地)といった大名が、幕末に江戸幕府を倒す中心的な勢力となりました。

Sponsored Links

旗本と高家の違いは?

高家というのは、江戸幕府において儀式や典礼を司ることの出来る役職の事を指します。

また、この職に就くことのできる家格の旗本の事を指すので、旗本が高家というわけではなく、高家になる事の出来る旗本というニュアンスが正しいです。

皇室との関係に関しては、旗本は後に華族と呼ばれる身分として呼ばれる事になっていきますが、この華族が皇室との関わりをもっており、宮中を自由に行き来できるなどの特権をもっています。

Sponsored Links

老中や若年寄との違いは?

老中や若年寄というのは、江戸幕府の中心的な役割を持つ役職のことで、将軍に代わって実際の政治を行なっていました。

今でいえば総理大臣や官房長官のような人たちですね。

旗本の中で有能な人は、こうした役職に任命されることがありました。

一方で、外様大名は老中や若年寄にはなれませんでした(ただし、非常に例外的なケースとして、幕末に外様大名ながら老中になった松前藩などの例はあります)

老中や若年寄が行っていたのは「国政」で、「地方の政治」に関してはそれぞれの大名が行っていました(江戸時代は地方自治の時代です)

現代でも、地方の政治は都道府県知事や市区町村長のような人たちが行いますが、軍事や外交といった国政については総理大臣が責任をもってやっていますよね。

これと同じような役割分担です(ただし、江戸時代は国政を担当する老中や若年寄の方が、地方の大名よりも圧倒的に地位が高いです)

Sponsored Links

老中や若年寄の具体的な仕事内容

老中とは、江戸の政治や治安維持を行う大目付、町奉行と遠国奉行、府城代といった遠方の役人、そして朝廷、公家、寺社、大名を統括するのが主な仕事です。

そして若年寄とは、旗本や御家人などの、幕府に直接仕える武士を統括する役目をしていました。

どういった事をしていたのか理解すると自然と身分の違いも分かりますね。

Sponsored Links

まとめ

今回は、江戸時代の旗本という武士の身分についてくわしく解説いたしました。

身分の違いや役職などの違いで呼び方が変わるというのは現代ではあり得ない事ですが、こういった歴史があったという事を知っておくのも大切ですね。

日本の歴史を勉強している方はぜひ参考にしてみてください。

Sponsored Links